鉛筆について知ろう

日本で作られている鉛筆は、1年でなんと約600,000,000本!
世界中でもっともたくさん使われている筆記具と言われています。
学校以外でも、作曲家、デザイナー、大工さん、アニメーターの仕事などには、なくてはならない筆記具です。
そんな鉛筆のこと、歴史から詳しく見ていこう!

鉛筆が生まれたのは、どこで?いつごろ?
鉛筆の歴史

鉛筆が発明されたのは、いまから400年ぐらい前です。
イギリスの「ボローデル鉱山」という山で、鉛筆の芯(シン)になる黒鉛(こくえん)が見つかりました。
黒鉛のかたまりを白い紙にこすりつけると、黒く書けたので、黒鉛を木で挟んだり、布きれでまいたりして、ペンのように使うことを思いついたのです。
鉛筆の原型ですね。


その鉛筆の原型をたくさんの人が使うようになり、黒鉛のかたまりをどんどん使いました。
すると黒鉛を掘り始めて200年ほどで、黒鉛が山から取れなくなってしまいました。使い切ってしまったのです。

そこで、山に残った黒鉛のかけらや粉を集めて、黒鉛のかたまりを作ろうとがんばったひとたちがいました。
そのひとたちの名前は、ニコラス・コンテさん(フランス人)と、カスパー・ファーバーさん(ドイツ人)です。

ニコラスさんとカスパーさんは、研究の末、黒鉛の粉と粘土(ねんど)をまぜて高い温度で焼くことで、黒鉛のかたまりと同じような芯ができることを発見しました。


このニコラスさんとカスパーさんの大発見と、今も同じ方法で鉛筆を作っています。

日本に鉛筆が来たのはいつ?

日本に鉛筆が来たのがいつなのか、正確なことは分かっていません。
ただ、江戸幕府の将軍である、徳川家康(1542年~1616年)や、東北の武将である、伊達政宗(1567年~1636年)が使っていた鉛筆が、現代にも残されています。

徳川家康が使っていた鉛筆は、11.4センチと短く、芯は黒鉛のかたまりを使った、ヨーロッパで作られたものです。
伊達政宗が使っていた鉛筆は、13.7センチでキャップもついています。芯は黒鉛の粉をかためた、今の鉛筆に近いものです。


日本で鉛筆をつくりはじめたのは?いつ?

明治時代になって、日本ではあたらしい国づくりがはじまりました。
ヨーロッパやアメリカのしくみを勉強し、より良いものや、進んだものをどんどん取り入れました。
すべての子どもたちが平等に学習できる教育のしくみも取り入れ、たくさんの鉛筆が使われるようになりました。

それまでの日本の筆記用具は、筆とすみ、すずりや半紙で、鉛筆は外国から輸入されたものを使っていました。
ただ、生徒がふえるスピードに間に合わず、自分たちの力で鉛筆を作るために、日本は外国に伝習生をおくり、勉強させました。


そして1875年(明治7年)に日本で最初の鉛筆工場が生まれました。
伝習生から鉛筆の作り方を学んだ小池卯八郎(こいけ うはちろう)さんが、東京・上野で鉛筆を作り始めたのです。

そしてさらに3年後の1878年(明治10年)に、ドイツで鉛筆の作り方を学んだ河原 右左衛門(かわはら うざえもん)さんが、鉛筆工場を建てました。その河原さんの鉛筆工場では、100人もの人が鉛筆の作り方をはたらきながら学びました。
そのあと、河原さんの工場で鉛筆の作り方を学んだひとたちが、東京都、鹿児島県、宮城県、石川県、鳥取県など各地で鉛筆工場を作り、日本産の鉛筆がたくさん使われるようになりました。


活躍する鉛筆

勉強で使う鉛筆は、お仕事でも大活躍しています。
家などの建物をデザインする建築士さん、音楽をつくる作曲家さん、まんがやアニメーションをつくるまんが家さんのお仕事でも、最近はデジタル化が進んでいますが、鉛筆はまだまだ活躍しています。


鉛筆はどのくらい書けるの?

鉛筆の芯をぜんぶつかうと、約50キロメートルも書くことができます。
オリンピックのマラソンの距離は、約42キロメートルなので、すごい長さですね。

ちなみに、ほかの筆記具とくらべてみると、以下の表のとおりです。
かなり長持ちするのが分かりますね。


鉛筆の芯の材料は?鉛が入っているの?

鉛筆の芯は、黒鉛と粘土でできています。
黒鉛は自然が作ったもので、山からとることができます。
黒鉛という字から、金属の仲間である「鉛」がはいっていると思われることがありますが、「鉛」は鉛筆の芯には入っていません。

粘土も自然が作ったもので、川の近くでとることができます。


資料提供:日本鉛筆工業協同組合(えんぴつ大好き)1997年10月制作より